プレシジョン・オンコロジー(がん領域の精密医療)

標的を定めた効果的な腫瘍治療(がん標的治療)

 

 

従来のがん治療は、多くの場合、重篤な副作用を伴います。新たな治療法では、一部の腫瘍を効果的に標的とすることで、これらの副作用を軽減することができます。プレシジョン・オンコロジー(がん領域の精密医療)が持つ可能性について、専門家の見解を紹介します。

 

私たちの身体は、がん細胞のもとになる細胞を毎日10,000個も作り出します。通常であれば、そうした細胞は自然に死滅するか、免疫系によって破壊されます。しかし、人体のセキュリティシステムがうまく働かないことがあり、結果として本来は排除されるべき細胞が手のつけられないほどに増殖します。腫瘍が形成され、患者さんは「がん」というショッキングな診断を告げられることになります。

 

バイエルで早期開発段階を担当するトランスレーショナル・イノベーション・リードのドミニク・ママーグは、次のように述べています。「がんは、患者さん自身の細胞から発生する疾患です。ウイルスのような人体にとって異物である病原体との戦いに比べて、がんの治療は非常に困難です」

 

また、がんは多くの顔を持っています。「がんは1種類だけではありません。これまでに100種類以上のがんが確認されていますが、さらに多くのがんが存在しています。そのため、治療法も1種類というわけにはいきません。差別化された多くの治療法が必要なのです」

 

がんのさまざまな顔

近年、科学界ではがんに関する多くの知識が新たに発見されました。分子診断法の発展のおかげで、肺がんや胃がんといったがんが、さらに細かい種類に分かれていることが判明しています。がんが生じた部位を重要視するのではなく、それぞれの腫瘍の分子学的構造に注目してオーダーメイド治療を行う方法が模索されています。

 

この研究・治療分野はプレシジョン・オンコロジーと呼ばれています。バイエル・バイタル社オンコロジー部門長のマチアス・ロスバーグは、「化学療法をはじめとする従来の治療法は、スプリンクラーで広い芝生に水をまくようなものです。一方、プレシジョン・オンコロジーは、1本の花に丁寧に水をそそぐようなイメージです」と述べています。

 

プレシジョン・オンコロジーは、特定の患者さんに適切な治療を、適切な時期に、適切な量で行うことを目的としています。そうした治療に用いられるさまざまなアプローチについて、ママーグは次のように説明しています。「腫瘍の細胞が無秩序に増殖する機序を解明し、それに応じた治療を考えるという方法があります。また、その腫瘍独自の特徴が組織表面に認められないか調べることが、標的治療への道筋となる場合もあります。さらに、腫瘍の周囲で免疫系を活性化させて、がん細胞を攻撃させるという方法も考えられます」

 

Dr. Mathias Rossberg

化学療法をはじめとする従来の治療法は、スプリンクラーで広い芝生に水をまくようなものです。一方、プレシジョン・オンコロジーは、1本の花に丁寧に水をそそぐようなイメージです。

マチアス・ロスバーグ博士
バイエル・バイタル社 オンコロジー事業部責任者

 

よい治療効果をもたらし、副作用は少なく

これらのアプローチのすべてに共通するのは、従来の治療法と比べて効果的であり、副作用がはるかに少なくなることが期待されるという点です。化学療法を例にとると、多くの場合、腫瘍だけでなく粘膜のような正常な組織も攻撃してしまいます。一方、プレシジョン治療で攻撃の対象となるのは、薬剤の標的として定められた特徴を持つがん細胞にほぼ限られます。ただし、プレシジョン医療にも避けられない唯一の「副作用」があります。それは、腫瘍の分子学的解析に用いる組織検体を患者さんが提供する必要があることです。

 

このような分子解析は、精密ながん治療を行うための出発点となります。分子解析の目的は、腫瘍の増殖に寄与している因子を特定し、治療に活用できる可能性のあるポイントを特定することです。がんの原因となり得るものの一つに例えばNTRK遺伝子の融合があります。簡単に説明すると、この遺伝子の融合により、通常であれば非常に限られた状況でのみ活性化する細胞内のシグナル経路が、常に過剰に活性化した状態となり、制御できない細胞増殖を引き起こします。

 

最初の成功を収めたが、大きな課題が残る

研究チームは、この遺伝子の融合による産物が、がん増殖の原因の一つであることを発見しました。この発見をもとに、NTRK遺伝子の融合を原因とするがんの治療薬が複数開発されています。最初の治療薬は2018年に米国で承認され、その後、欧州などほかの市場でも承認されました。欧州では、初めての臓器横断的治療薬として市場に導入されました。臓器横断的とは、同じ遺伝子融合に起因する腫瘍であれば、原発部位に関わらず治療できるという意味です。このようなNTRK融合遺伝子によるがんに対する別の治療薬は、日本で初めて承認され、その後世界各地でも承認を取得しています。

 

このようにプレシジョン・オンコロジーは飛躍的な進歩を遂げていますが、大きな課題も残っています。NTRK遺伝子融合は、がん患者の1%にしか認められない、まれながん種です。「腫瘍増殖の一部については原因を特定できましたが、膨大な数の死亡を引き起こす肺がんや大腸がんをはじめ、がんにはまだ多くの種類があり、そうしたがん種のほとんどは、単一の原因では説明できません」とママーグは述べています。「したがって、がんの発生には複数の原因が関与していると考えられます。さまざまな原因に対処するために、複数のアプローチを組み合わせて使用する必要があります。しかし、複数の薬剤を併用しても効果を発揮するのか、そうした治療法が身体全体にどのような影響を及ぼすかという疑問が生じます」

 

Dr. Dominik Mumberg

これまでに100種類以上のがんが見つかっていますが、さらに多くのがんが存在しています。そのため、治療法も1種類というわけにはいきません。個別化された多くの治療が必要なのです。

ドミニク・ママーグ博士
ドイツ・バイエル社医療用医薬品部門 オンコロジー・ストラテジック事業部トランスレーショナル・イノベーション・リード

 

がんゲノム医療に関する見解の表明

プレシジョン・オンコロジーが、すべてのがん患者さんにとって有用な治療法となるためには、解消しなければならない疑問が複数存在しています。いずれにせよ、腫瘍の分子解析は治療の初期段階にもっと一般的に行われるべきであると、ロスバーグは主張しています。「よりターゲットを絞った方法で、重篤な副作用を伴わない治療法があるのであれば、副作用を伴う化学療法を用いるのは明らかに非倫理的です」

 

分子検査の利用を拡大するためには、検査室の対応力、医療従事者、財務資源がこれまで以上に求められます。また、医師だけでなく患者さんにおいても分子検査の認知度も向上させる必要があります。どの治療法を選択するかは、最終的には患者さんが決定することなのですから。

 

がんとの闘いをただちに終結させることは、プレシジョン・オンコロジーにもできないだろうという点についてはロスバーグもママーグも認めています。しかし、ロスバーグは次のように結論づけています。「今後、がんが糖尿病のような、ともに生きていく病気になる可能性は大いにあります。私たちの研究の目標は、患者さんが痛みのない生活をできるだけ長く送れるようにすることです」。

 

 

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